メディアアートの世界:実験映像1960-2007
きっかけは蕎麦屋での雑談。念願の書籍化。すべての現代美術愛好家に贈る必読書!
(財)大学コンソーシアム京都では、加盟する各大学・短期大学の学生が他大学の科目を履修し、それを所属大学の単位として認定してもらえる単位互換制度が設けられています。本学も単位互換包括協定を締結し、多数科目を提供しているのですが、Cテーマ「美の世界に触れる」の中で映像分野の伊奈新祐先生が「実験映像の世界:メディアアートとしての映像」という科目を担当されています。毎回、学内外の映像作家をゲストに招いてリレー形式で講義してもらうというなかなか贅沢な授業です。
以前のブログ記事にも書きましたが、伊奈先生は映像分野の低回生たちのために日本語で読めるビデオアートの入門テキストを切望されていました。木野駅のすぐ近くにある小川屋(蕎麦屋)さんでお昼をご一緒していたときに、キャンパスプラザ京都で開講されているコンソの科目の話になり、「これならすぐに本にできそうなんだけどね」という一言を受けて、情報館とおつきあいのある出版社の方に企画を持ち込んでみようということになりました。
さっそく伊奈先生が講義内容を文書にまとめ、僕のほうで企画書の体裁に整形し、出版社の営業さんにメールで出版企画を打診したところ、すぐに良い返事が来ました。蕎麦屋での発案から出版社の決裁が下りるまでに要した期間はたった3日。物事がうまく運ぶときっていうのはこういうものなんですね。
「メディアアートの世界」と銘打たれた書籍ではありますが、メディアアートということばが多義的に解釈されることを考えると、未読の方がメディアアートの世界を総覧できるのではないかと誤解されないよう、副題で使用されている「実験映像」が主軸に置かれた本であるということをまずは強調しておきます。それでも取り扱う主題範囲が絞られているとはいえ、限られた紙幅の中で入門書という体裁のもとに実験映像周辺のメディアアートを体系的に記述するという試みが困難であることは想像に難くありません。ただ、実際に読んでみると、世代の異なる複数の執筆者による共著が幸いしてか、個々の同時代的な経験を通じた証言がビデオアートを中心としたメディアアートの歴史を多層的に浮かび上がらせることに奏効していると感じられました(阪本裕文氏の労作年表もそれに一役買っています)。
また、一般への露出度が比較的少ないアーティストとその活動(フィルモグラフィー?)を紹介し、これまで実験映像になじみがなく商業映画かせいぜい単館系のインディーズ・フィルムの鑑賞体験にとどまっていた人たちにストーリーの伴わない「アートとしての映像作品」の存在を知らしめ、映像ファンの裾野を広げる可能性につながることを考えても、今回の刊行の意義は大きいのではないかと思います。とりわけ将来的に映画監督など動画系クリエイターを志望する若い人たちは、現代美術に寄り添った映像世界もあるのだというオルタナティブな選択肢を知る意味でもぜひ読んでみてください。本書でも多くの著者が触れられている初期ビデオアートの制作における物理的制約を知るにつけ、頑張っておカネを貯めれば手に届く程度には廉価になった撮影・編集機器でノンリニア編集ができるようになり映像表現がより身近にパーソナルなものとなった現在だからこそ、実験映像の持つ可能性にも目を啓いてほしいと思います(当時に苦労された年配の映像作家さんにとって今の恵まれた環境には隔世の感があるのではないでしょうか)。
この本の刊行と歩を合わせるかのように日本映像学会の第34回大会が2008年6月7日(土)〜9日(月)まで本学を会場に開催されます。「"実験映像"のいま」を今大会のテーマとし、基調講演にLev Manovichさんをお招きする予定だそうで、伊奈先生は大興奮されていました。(僕はマノビッチさんがどのくらいスゴイ人なのか分からないので適当な相槌をうってしまいましたが(笑)・・・豚に真珠というやつです。)
映像分野にとって「セイカ零年」となるような良い一年になればと願っています。
ホント、版元の国書刊行会さんにはたいへんお世話になりました。当方からの打診についてフットワーク軽く対応していただいた営業の永島さん、斯界の大御所たちにも臆することなく短期間で原稿をコンパイルされた敏腕編集者の萩原さんにこの場を借りて謝意を表します。ありがとうございました。個人的にも海外小説(昨年末に『ラナーク』買いました)や美術書(『小林かいちの世界』が好評のようですね)で楽しませていただいている出版社のひとつです。今後の旺盛な出版活動に期待しています。
国書刊行会HP: http://www.kokusho.co.jp/