名曲喫茶について
名曲喫茶受難の時代
四条木屋町を少し上がり高瀬川沿いにあった名曲喫茶『ミューズ』が
なくなって何年になるだろう。
名曲喫茶、というと少し肩肘を張って入らなくてはならない雰囲気が
あった中にあって、ミューズは若者が気軽に入ることのできた店であった。
名曲喫茶を定義するのは難しいが、あえて定義すれば、BGM程度に
クラッシックを流すのではなく、しかるべきオーディオ装置を使い、
LP(もしくはSP)を主たる音源として、顧客に音を堪能させることの
できる空間を持ち、できれば顧客のリクエストに応じてくれる店、
とでもしておこうか。
貧乏学生であった私は、名曲喫茶のすべてを知っていたわけではないが、
それでも河原町荒神口の『しぁんくれーる』、銀閣寺道南にあった
『ゲーテ』などが随分以前に姿を消し、さびしい思いをしたものだ。
今、京都で名曲喫茶として思いつくのは、出町柳の『柳月堂』と
四条木屋町下がるの『フランソア』くらいだろうか。
名曲喫茶のみでなく、喫茶文化そのものが衰退した印象を持つ。
学生時代、ガロの『学生街の喫茶店』という曲が流行った。
それだけ、大学と喫茶店とは一体化した存在であったということだ。
しかし今大学キャンパスの周辺にあまり喫茶店を目にすることがなくなった。
学生があまり本を読まなくなったのも、そのこととの相関関係があるのかも
知れない。
大阪・心斎橋の『プランタン』、東京の『純喫茶日比谷』。
いずれも雰囲気を持った店が今世紀に入ってまもなくに閉店してしまったのは
その象徴といえそうだ。
(text:bach憧憬)