ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」
ヴィオラは哀しい楽器である。
この楽器が好きで堪らない人、というのは余程の変人か
音楽をとても良く理解している人であるに違いない。
だってヴァイオリンほど可愛くはないし、チェロみたいに
どっしりと構えているわけでもなし。
そうした見た目の問題もさることながら、そのあまりの引っ込み
思案さに、多くの人はこの楽器の奏者となることを躊躇う。
ところで、クラシックの曲を各パートごとに聴く機会など
滅多にはないだろうが(「題名のない音楽会」ではやりそうだけど…)、
ことヴィオラの音をその役割、という視点から聴くためには、弦楽四重奏
はうってつけである。
交響曲第9番「新世界より」という有名な曲を作曲したドヴォルザークに
「アメリカ」というタイトルを持つ弦楽四重奏(カルテット)曲がある。
曲のイメージとしては「新世界」につながるものがあるが、躍動感を身上とする曲
である。
期待を裏切ることなくヴィオラは裏方に回り、リズムを刻むか、ピチカートを
爪弾くか、和音を作ることに徹している。
自ら演奏したこともあるこの曲を、先日iPhoneで聴きながら職場まで歩いた。
不覚にも涙が出てしまった。いかに私はヴィオラを理解していなかったことか!
この曲の真骨頂たる躍動感を生み出し、全体の曲想を仕切っているのは、
一番地味と思っていたヴィオラだったのだ!
なかんずく、哀愁に満ちた第二楽章を良く聴いてほしい。
旋律を奏でるのはもちろんファーストヴァイオリンとチェロの役割である。
しかしこの二つの楽器はひたすら、哀しさを歌っているだけなのだ。
哀しいけれどもゆっくりと歩いていくしかないんだよ、と背中を押し続けているのは
ヴィオラさんなのだ。
こうした小編成の曲にも、人生観は詰まっているものなのだ。
(text:Bach憧憬)