シャンクレール、という純喫茶があった
シャンクレールのことを語ろう
純喫茶の定義は知らない。重ための食事やアルコールの類は出さない、
ということだろうか。
若い同僚とのサロン的なミーティングの場で純喫茶の話題となり、
それならば、と切り札のように取り上げたのが「シャンクレール」。
ところが、である。
私以外はその存在を知らないことに、愕然とする。
高野悦子の『二十歳の原点』にでてくる、ほら、あの有名な・・・、
と言っても返ってくる反応は一様に?????
オレって、いつの間にやら浦島太郎?!
河原町通荒神口東北角にかつてあった、小さな喫茶店。
第二外国語に独逸語を選んだわたしが、
店の名が「明るい場所」という意味だと知ったのは、
ずっと後のこと(漠然と、仏蘭西語風だとは思っていたけれど)。
だれが言ったとも知らず「思案暮れる」とは、
悩み多き若者にぴったりの店の名前じゃないかと、
わたしは妙に感心していたっけ。
そんな風に感心していたなんて、純過ぎていやだけど、
当時は自分がそんな歳だったのだから仕方ない。
1階はクラシック、2階はジャズ。
当時(70年代前半)の若者は、ジャズ派が圧倒的多数
だったと思うが、店の近くにある大学の交響楽団に
入団したその日に先輩に連れていってもらったのは、
ここの1階だった。
美人で才女の名声高かったマダム、
若山牧水の「幾山河越えさりゆかば」の歌を刻んだ厚い木板、
一杯150円の珈琲を奢ってもらったこと、
おぼえたての煙草をふかしたこと、そしてなによりも
あの伝説の高野悦子さんの本にでてくる喫茶店。
私の世代で、あの界隈で大学生活を送った者には、
ある種の感慨を伴わずには語れない店だが、
ポール・ニューマン去り、そして緒方拳が去り、
いつしか時は流れていた。
(text:bach憧憬)