学研のムー・スーパーミステリー・ブックス
図書館員としてブログで『ムー』本を推薦するある種の勇気。
既に絶版となっている『ギンガ』以来、長らく待望されてきた山本精一さん新刊エッセイ『ゆん』を本屋で立ち読みしていたところ、あの山本さんがかつて『ムー』の愛読者であったことをカミングアウトされていて、思わず頬が緩みました。
『ムー』の愛読者であることを公言するのはなぜか憚られます。それはムーで採り上げられている現象が現代の科学では証明できないからです。毎年、年末にテレビ朝日系列で超常現象を特集したビートたけしの特番が放映されるのをご存知でしょうか(昨年に限って12月30日に放映されたので油断していて見逃してしまいましたが、『ムー』読者[ムー民]にとって復習のような機会なので特に支障はありません☆)。そこでは超常現象否定派の早稲田大学の大槻教授と肯定派のたま出版の韮澤社長とのかけあいが見所となっていますが、所詮は韮澤さんをスケープゴートの形で笑いものにしてディベートを手打ちにするエンターテイメントです。たけしにしろコメントの端々からどう考えても肯定派のように見受けられるのに、世間からの批判や嘲笑を恐れてか、あるいは自身の発言の影響力を考慮してか、いつも曖昧な態度に終始しています。エスタブリッシュメントのつらいところなのでしょう、その類のTV番組で出演者の誰かから「信じている」の一言さえもモニターの向こうから聞くことはありません。
いわんや図書館員をや。図書館は物議をかもすテーマについて恣意的な資料選択をおこなうわず両極の関連資料を提供して是非の判断は利用者に委ねるという中立的な立場にあるとしても、擬似科学との謗りを免れ得ない本を蔵書とすることには抵抗があるし、ましてや推薦するなど躊躇します。情報館でも受け入れすることはおそらく今後もないでしょうが、僕個人としては『ムー』をはじめとするトンデモ本と俗に侮蔑される資料の一読を強く奨めたいのです(買って読んでみてね)。
UFO、UMA、オーパーツ、超自然現象、日ユ同祖論、オカルト、地球空洞論、カバラ、ポールシフト、超古代文明、霊的進化、フリーメーソン、シャンバラ・・・などなど魅力的な話題が満載で、たとえライターたちの妄想だとしても知的好奇心をくすぐられます。あの学研さんが世間の評判などまったく気にも留めていないかのように胸をはって出版を続けるのだからエライ!と思います。ちなみに僕がよくいくジュンク堂書店大阪本店では自然科学の雑誌コーナーに置かれていた『ムー』がある時期から一般誌の棚に移動されていました。おそらく生真面目な利用者からクレームを受けての措置ではなかろうかと推察しています。
遠い未来から回顧すれば間違いなくお粗末であろう現在の科学レベルを基準にして『ムー』ネタを否定するマジョリティは天動説を支持していた中世人たちと何ら変わりはないでしょう。目の前に突きつけられた言説に対して単なる妄言と切り捨てたり、「論拠が希薄である」「自説に都合の良いデータや理論ばかり選好している」などという理由で無視したり反駁したりするほうが簡単なのではないかと思います。既存のパラダイムを超克することこそ科学の課題であり、研究者にとっての醍醐味ではないのかとがっかりしてしまいます。
脳の仕組みなんてまだまだ未知の領域が残されています。宇宙の成立だって現在までの有力な定説があるだけで確たる解明はなされていないはずです。その程度の科学水準が超自然現象を否定する拠り所になっているのでしょうか。一方で門外漢には馴染まない量子物理学の世界は信じられているわけですからある意味いい加減な話ですよね。必ずしも解を導き出せない問いを設定して、それを究明・研究していくことが学問なのだとしたら、超自然学科なんてファカルティが世界のどこかの大学に設置されててもアリなんじゃないかと考えたりするのですが(笑・どんな学位を授与すべきかはおくとして)。
学者ではない一般人としては、騙されてもいいから謎の夢物語を自分の判断尺度のもとに「信じる」ことの意義を僕は信じます。そしてベストセラーの『ダ・ヴィンチ・コード』は読むくせに『ムー』を小馬鹿にする向きがいるのだとしたら、そんな軸のない人たちのことを僕は信じません。