不思議惑星キン・ザ・ザ
あえてとりあげる必要もないくらい有名な旧ソ連製カルト映画。このコミカルな映画を肴に異文化コミュニケーションについても考えてみたい。
むかし某ソフトドリンクのCMでもパクられていたくらいインパクトは強い。しかしフィーチャーされるのは、その素頓狂なセンスやローテク特撮、そして「クー」という奇声とともにペンギンのように挨拶するキャラのコミカルなしぐさばかり。もっと他に注目して読み込むべき示唆に富んだシーケンスもたくさんあるだろうと思うのだが。
街中で困っている宇宙人のそばをふと通りがかった技師マシコフと大学生ゲデバン。助けてあげようとしたところ、はずみで宇宙人が持っていたテレポーテーション装置を押してしまい、キン・ザ・ザ星雲にあるプリュクという砂漠の惑星に瞬間移動してしまうという理不尽な展開からはじまる。そして試行錯誤と大ドタバタ劇の末、無事地球に帰還するまでの物語である。
この映画には、「いかにして言葉の通じない人々とコミュニケーションを図るか」という<異文化コミュニケーション>術のエッセンスが凝縮されている。まず、知らない土地に放り出されてもパニックに陥らず、すぐさま見慣れぬ環境に馴染んでいく順応能力が問われる。それから、言葉の通じない相手との対話。当事者間の置かれたコンテクストを理解し、相手の言い分を懸命に忖度しようとする謙虚な心構えが必要である。「なに言ってんのかわかんない」では話にならない。愛情をもって相手と辛抱強くつきあうことが肝要である。しばらく一緒にいると、どのシチュエーションでどのようなしぐさや言葉が使用されるのか推察できるので、実際に自分もその言葉を真似て使ってみる。相手が然るべき反応を示せば自分の憶測が正しかったことを確認でき、それが正確な用法としてインプットされる。そしてこの作業をひたすら繰り返す。ボキャブラリーが増えれば増えるほどコミュニケーション能力は等比級数的に飛躍していく。同時に当地に暮らすことで次第にしきたりやタブーなどの慣習的な文化的側面も次第に学習していくのである。
マシコフとゲデバンが最初に出会ったプリュク星人コンビにいきなりボラれてしまうシーンがあるが、<騙される>という被害もまた、異文化を学ぶ上で重要なイニシエーションとなる。しかし悲観的に考えてはいけない。高い授業料を払わされるとはいえ、これも自分の身をもって体験すべき文化的洗礼のひとつである。また、この経験をもって当地の住人を悪者であると一元的に決め付けるのは危険である。もっと深く付き合ってみて複眼的な観察力と寛容性を身に付けることが大切である。
前述の二人組に終始辛酸を舐めさせられたマシコフたちであったが、彼らを助けにいくエピソードも泣かせる。不条理さに対し情でもって応える態度はあっぱれ。観てもらえればわかるけど、あのコンビ、小悪党だが憎みきれないユーモラスな奴らなのだ。ほかにも、プリュク星の帝国をソ連時代の自国に見立て痛烈に揶揄してるのも心憎い演出である。
B級映画?とんでもない。こんな切なくて面白いコメディ、他には類がない。映像だってすばらしく美しい。斬新かつ清冽なイメージが奔流のごとく視界に流れ込む。アイディア満載のローテク舞台装置にも要注目。音楽はほのぼのと和ませてくれる癒し系。それにロシア映画の系譜にのっとって哲学的なインスピレーションが至るところに盛り込まれている。