絵と音楽のコラボレーション『きつね物語』 (スライド・メディア) :マルチメディア講演会
日時:2001年11月30日(金)16:30〜18:00
会場:京都精華大学情報館1階AVホール
入場無料・予約不要
講演要旨
スライドを絵画表現のメディアとして取り入れたのは日本美術史のなかの絵巻物の存在からだった。12世紀末、古代貴族社会が亡び、沈滞した貴族社会に変わって、新興勢力である社寺の絵仏師たちが練達した画法で次々と絵巻物を制作した。代表的なものとして『信貴山縁起』『餓鬼草紙』『地獄草紙』などがある。それらの絵巻の開帳には絵解き法師や琵琶法師の音曲など加わって、見物の民衆は佳境に入ったことだろう。それを現代に移してみてはどうだろうか。
きっかけは70年代に韓国のことに関わることから思いついたのがスライドという表現であった。絵師は富山妙子、楽士は高橋悠治、そこに様々な表現者が協力して25年目を迎えた。その間に時は流れ、時代も移り、すべてが変わっていった。近年はビデオの出現で忘れられようとしていたスライドがまた見直されはじめた。
プロフィール
富山 妙子(とみやまたえこ)
1921年神戸生まれ 少女時代を旧満州、大連とハルビンで過ごす。東京女子美術専門学校(現:女子美大)中退ー戦争。50年代、画家の社会参加として鉱山、炭坑をテーマとする。70年代、韓国の詩人、金芝河(キム・ジハ)の詩をテーマとして制作。76年、新しい芸術運動として、詩と絵と音楽によるスライド作品を自主制作するための火種工房を主宰し、現在に至る。80年、「倒れた者への祈祷1980年5月光州」版画巡回展。82〜83年、パリ、ベルリン、ハイデルベルグ、ミュンヘンにて巡回展。88年、富山妙子ロンドン・ベルリン展。91年、タイの出稼ぎ女性をテーマとして制作、バンコク展。95年、戦争 50周年記念企画・富山妙子 東京・ソウル展。97年、「慰安婦へのレクイエム・富山妙子作品展」。
(主なスライド作品)
(絵:富山妙子/音楽:高橋悠治/制作:火種工房)
・『海の記憶』1988年
・『帰らぬ少女』1991年
・『20世紀へのレクイエム・ハルビン』1995年
(主な映画作品)(制作:幻燈社)
・『自由光州』1981年(監督:前田勝弘)
・『はじけ鳳仙花』1984年(監督:土本典昭)
(主な著作)
・『はじけ鳳仙花』1973年・筑摩書房
・『解放の美学』1979年・未来社
・『時代を刻む・富山妙子作品集』1995年・現代企画室