よりみちパン!セで考える

 情報館3F閲覧室にはわかばコーナーがあります。そこに、『よりみちパン!セ』シリーズがたくさん揃っているのをご存知ですか?

 この『よりみちパン!セ』シリーズは、理論社が発行している、中学生以上のすべての人に向けた読み物です。

学校でも家庭でも学べない、キミが知りたいこと、知らなかった世界のことを、魅力的なおとなたちが心をこめて、書き下ろします。(理論社HPより)

とあるように、知りたくてもなかなか聞けないこと、誰に聞いていいのかわからないことについて(中には刺激的なテーマもありますが)、やさしい日本語で書かれています。さらに、100%ORANGEによるイラストも満載で読みやすく、空き時間にちょこちょこページを眺めていれば、すぐに一冊読み終えることができます。

最近私は何冊かこのシリーズを読んだのですが、中でも『きみが選んだ死刑のスイッチ』は興味深いものでした。

「人の命を奪った残虐なヤツ、悪いヤツは死刑になって当然だ」という単純な考えから、日本に置ける死刑存続を唱える人々は多いでしょう。現に、私もぼんやりとそう思っていました。

しかし、そういった人々は、死刑が実際に施行される場面について、どれだけのことを具体的に想像できるでしょうか。誰かの「死刑」を執行するということは、その誰かを「殺す」ということで、「殺す」ということは、それを実行する第三者が絶対的に必要です。「死刑になって当然の人」を殺すために、あなたはその執行スイッチを平然と押すことができますか?

また、最近では、裁判員制度が始まり、被告人に「死刑」を言い渡すこともあり得る裁判に、一般の人々、つまり、私たちが参加する可能性が出てきました。ニュースなどを見ていると、そういった「人の命」に関わるような重要な判断の一端を自分が担うことに対して、抵抗を感じている人は少なからずいるようです。

「判断をしかねる」ことの要因にはもちろん、私たちが「法律の専門家でない」こともありますが、しかし、「人を裁く」ということに対する抵抗を感じる人が、安直に死刑存続を口にするのであればそこには矛盾を感じてしまいます。

『泣ける』映画や、『●●できるようになるための10の方法』といったような、インスタントが求められている最近の日本ではきっと、気付かないうちにたくさんのことが省略され、単純化されてしまっているのだと思います。意識的に「想像する」ことをしなければ危険かもしれません。

というわけで、そのきっかけに、『よりみちパン!セ』シリーズ、是非読んでみてくださいね!

『きみが選んだ死刑のスイッチ』 森達也著 理論社

情報館所蔵:3Fわかばコーナー 326‖Mo‖45

(text:図書:meganet)


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