音楽とスラムダンク
いやー、最近スラムダンクを全巻読み返しまして、大いに泣かせていただきました。
どうしてこんなに胸が熱くなるのかと、考えてみたんですけど、やっぱり、作者である井上さんが胸を熱くして描いているからなんだろうなと思うわけです。井上さんは、本当にバスケが好きなんでしょうね。
主人公は桜木だけど、ある意味、全員が主人公というか、ここまでキャラが立っているのは、登場人物の個々がすごく個人的に(そう。個人的に!)、他の登場人物に負けないバスケへの情熱を持っているからだと思うのです。
「負けたくない!」「試合に勝ちたい!」「バスケが好きだー!」と、一言で言ってしまえばそういうことなんだろうけども、その形は個人個人で全然違う。そこをがっつり描いていることが、この漫画の大きな魅力なのではないでしょうか。
そう、それで、
私は音楽もそうだと思います。
現在情報館3F「tatami」コーナーで行われている、「20世紀の音楽史展」で武満徹と小澤征爾の対談集である『音楽』という本を見つけて読んでいるのですが、この本がまた、面白いんです。
まさに、印象的な発言のオンパレードなんですが、その中に、「音楽はみんなにとって超一流である必要はない。音楽の本質は公約数的なものではなく非常に個人的なもので成り立っている」という内容の発言がありました。
これはずしっときましたね。一番大切なのは人間と音楽が根本的にどこでつながるかだというわけです。
バスケと音楽の一番の大きな違いは「勝ち負け」が存在することで、この二つを並べて話そうなんてブーイングがあるかもしれませんが、音楽だって一言で言ってしまえば「いい音が出したい」「いい音楽が作りたい」なわけで、でもその形は個人個人で全然違う。というか、違っていいのです。これが正しい音楽の方法というのはないし、バスケだって、これが正しい戦術というのはないはず。
音楽にせよ、バスケ(というより、ここで話題にしているのはバスケを題材にした漫画を描くという行為)にせよ、自分がやろうとしている行為に対する愛情…というよりむしろ、執着と呼べる感情が素晴らしい作品を生み出すのではないでしょうか。
どんなメディアのどんな作品を体験しても、結局胸が揺さぶられるのは、そういう「執着」を感じられるときなんですよね。私の場合。
井上雄彦がバスケを、そしてそれをプレイするキャラを愛しているのはくどいほど伝わるし、武満徹や小澤征爾は音楽を、音を出すことを心から慈しんでいるんだなと思う。
話は逸れるんですが、大学生の頃、ものすごい熱血英語教師がいて、授業中にその先生が話してくださった中に、
「studyという単語をどう訳しますか?私は”山を登る人”と訳します。どんな分野であろうが、その道を極めたいと思っている人はみんな、一つの大きな山を登っているのです。だから、君たちもstudyingしているなら、私と同じ山を登っていることになる。道のりが違うだけだ。ただ、重要なのは、上へ上へ登れば登るほど、山はすぼまっていくわけですから、隣の人との距離が近づいていくのです」
!!!!!
そういうことだったのかー!!と、納得しました。つまり、先ほど話題に挙げていた人たちは、この山の上の方にいるんです。きっと。ね?
『音楽』
小澤征爾, 武満徹著
新潮社, 1981.4
3F閲覧室 一般図書 760.4||O 97