「東映長篇動画 西遊記(1960)」
子どもの時に、一本のアニメ映画を観て涙した経験を持つことが、その人の人生を変えてしまうかも知れない、 ということについて。
『西遊記』とは孫悟空なる石猿が大活躍する物語であることは多くの人が知っているはず。
その有名な物語が東映の長編動画第三弾として巨匠・手塚治虫が関わって映画化されたのが昭和35年。
当時小学校入学前の幼稚園児であった私は、生まれ故郷である北九州の下町でその映画を観た。
釈迦の怒りに触れ雪深い山奥の洞窟に幽閉された悟空に、食べ物を与えて元気付けようと訪れた‘‘りんりん’’を、意地っ張りな悟空は無碍に追い返そうとする。
りんりんは、泣きながらひき帰す。
そして幼稚園児である私も、そのりんりんの後姿に涙してしまったのだ。
それを契機として、女性はやさしくてかよわくて涙もろい存在、それにひきかえ、男はむやみにやせ我慢をし、空いばりするもの、という先入観の下地を形成することとなる。
だからどーなのだ、ナニが言いたいのだと、迫られても困ってしまうし、家庭における父母の互いの位置関係を見て、映画とのギャップに大いに戸惑いもしたものだが、要するに、一本のアニメ映画がその人の人生に影響を与えうるだけの力を秘めているのだ、ということが言いたいわけ。
手塚治虫原作でテレビアニメとして放映された大傑作「悟空の大冒険」
(杉井ギサブロー先生が総監督をされていたことを最近知り、感無量でした)とは一味違った、オーソドックスな感じのする西遊記です。
(text:bach憧憬)