ハードボイルド小説にみるダンディズム
ダンディズム・・・それはヤセ我慢。
ハードボイルドの探偵小説の話になると、必ずといっていいほど「チャンドラー派かハメット派か」の話になる(僕の周辺だけだろうか)。私は勿論チャンドラリアン(チャンドラーファン)である。急にここから一人称が[僕]から[私]に変わったのも清水俊二版翻訳を意識してのことであることはいうまでもない。村上春樹新訳で最近の若者にも注目されつつある『ロング・グッドバイ』に代表されるように主人公のフィリップ・マーロウの高潔な行動哲学にシビれる男性諸氏は多い。また、デューク東郷やジェームス・ボンドみたく、みだりに女性に手を出す「据え膳を食う」ような男ではない。そういうストイシズムがかっちょいい。「武士は食わねど高楊枝」という矜持とヤセ我慢の美学である。
私も含めチャンドラーが好きな男に限って、やけに感傷的なナルシストであったりする。えてして外見もカッコ良くないし女性にもモテないのになぜか(だからこそ?)マーロウに感情移入するのだ。『北斗の拳』だと「雲のジュウザ」(生真面目なトキやシュウではない)が好きというタイプはチャンドラリアンの資質ありとみていい(笑)。そしておそらくファン同士はお互い密かに「アイツらは本当にマーロウのダンディズムをわかってんのか」と訝っているにちがいない。とある雑誌で「『ロング・グッドバイ』に学ぶはじめてのハード・ボイルド」なんて特集を組んでいるのを見かけたときに「ケッ!」と毒づいた器の小さい人間は私だけではなかろう。・・・すべては妄想かもしれないし存外に当たっているかもしれない。
またしてもダラダラと筋立てることなく書き汚してしまったが、なにが言いたかったのかというと「ヤセ我慢は一種の美徳であり、ときに人間関係を良好にさせる潤滑油ともなる」ということ。世の中、「自分の得にならないことはやらない」人は多いし、とりわけ最近の若い人たちにそのような傾向があるように思う(感覚的な話で根拠はないが)。リターンを求める行為のカッコ悪さに気づいてほしい。カッコ良さをもって行動規範とするのも俗っぽい話かもしれないが、ディシプリンのあるスマートな人間に近づける手段とはなるだろう。みんながチャンドラリアンになってくれればもっと暮らしやすい社会となるのだろうに。