ジョジョに端を発する奇妙なエッセイ
「蛍原さん、ホンキですか!?」 執拗なまでに雨上がり決死隊の蛍原を弄るケンコバ。腹抱えて爆笑したね、テレ朝『アメトーーク!』の「ジョジョの奇妙な芸人」。芸人持ち込み企画のプレゼンから実現したこのトーク。過去にはドラえもん、ドラゴンボール、ガンダムがテーマになった回もあってそれぞれ盛り上がったらしい。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・
1980年代はじめから、発行部数600万部という驚異的な人気を博した1990年代まで週刊『少年ジャンプ』を読んで青少年期を過ごした僕にとってもジョジョの存在は看過できるはずもない。毒々しいディフォルメを経由してマニエリスムをマンガに導入したかのような美しい描画、常人では決して思いつかない大胆な構図、比類なき超絶的オノマトペ・・・とにかくすべてが斬新で、荒木比呂彦さんのキッチュな世界は当時のうぶな少年たちをあまねく魅了した。
さて、ジョジョを前口上にこれから何を嘯こうかというと、1970年前後以降に生まれた世代の多くがマンガやテレビなどのサブカルチャーを抜きにして自分たちのアイデンティティを語りえないのではないかという根拠の希薄な暴論や被害妄想、そして同世代人への応援メッセージである。
歳を重ねてもサブカルを愛好するその世代は、フリーター問題の文脈で語られる「ロストジェネレーション」でもある。これは単なる偶然の一致だろうか。団塊の世代が築いた裕福な社会で去勢されて育ち、時代的な相対比較ではチープに思える貧相なポップカルチャーに親しみ、大学卒業時には既にバブルもはじけて就職冬の時代を迎え、団塊の世代の既得権益を守るために非正規職員としてコキ遣われ、そのくせ彼らからは無職である理由をヘタレの一言で片付けられ、おまけに団塊の世代の年金まで拠出しなければならない哀れで不遇なこの世代が、ある種の諦念を通り越して、唯一自らが依拠せざるをえないサブカルのネタで盛り上がれてしまうという切ない現実に、僕などはむしろ逞しさや明るい希望を見出そうとしてしまう。さまざまなジャンルで活躍する30代半ば以下の人たちの言動に触れるにつけ、シニシズムをやり過ごして不条理感を活動に昇華させているかのような強かな印象すら感じられるのだ。
決して一般論化するつもりはないが、個人的な意見として、近年になって海外での評価を受けてかマンガやアニメを評価しはじめた「オトナ」(40代以上で特に団塊の世代を念頭に置く)が急増したような気がする。サブカルが時代精神といっても過言ではない世代からすると、そんなオトナたちはビジネスライクに「転向」したとしか思えず、サブからメインストリームに昇格しつつあるマンガ文化や若者たちにおもねるかのようなその軽薄な態度にはとうてい信用などおけない。「おっさんらはどこまで搾取する気やねん、おれらの聖域まで陵辱すんのか」という感想もあろう。
アカデミズムの世界に引き寄せて考えても同様ではないだろうか。サブカルを研究対象とする、あるいはサブカルに対して高等教育がどのように切り込んでいくかを真摯に考えるような仕事はおそらく、文化の質的側面に寛容であった一握りのオトナと多くの若手研究者たちにこそ相応しい。にわか仕込みのオトナが従事していてはいずれ馬脚を現すことになるだろう。80年代の文化的空疎感を埋め合わせるかのように前世代や現在進行形の文化を貪欲に吸収し、マンガ・アニメ・ゲーム・小説・音楽・映画・アートなどを同じ地平で総合的に語ることのできるロストジェネレーションの研究者たちの台頭に今後も注目していきたい。ロスジェネにサバルタンという言葉を使わせてもらえるのならば、このサバルタンこそがサブカルを語ることができる中心的主体なのである。
人文・芸術・デザイン・マンガという4学部を有するこのユニークな大学を拠点に、学内外の若手研究者たちの間で、領域を横断した学術的交流が図られることを切に願っている。そういう意味でも表現研究機構のポップカルチャー研究会の活動には期待してやまない。